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店主日記 2001年8月-勉強会にも精力的に参加
店主 河崎 宏
2001.8.1 水 晴れ
山口さんから、今週いっぱい出社は無理との電話。移植した皮膚が動かないようにギプスで固定されているため、仕事は全く出来ないとのこと。思いがけないほど長期の治療になってしまった。
京都のS社への配達は、急遽トラック便に変更した。
大阪M社よりオーガニックの米は、どこから買っているのか、問いあわせの電話があった。
2001.8.2 木 晴れ カウンター1729
D社のUさんから、ビッターズに商品出展の依頼の電話。D社が窓口になって武生のこだわり商品を販売していくとの企画だが、うまくいくのだろうか気がかりだ。商品提供は承諾した。
三好先生より甘酒に米ぬかの匂いがつくとの連絡。米の精米歩合を高く出来ないかとの要望。夏期時なので、変質・着色がおもっている以上に進むみたいだ。モンゴルの大豆で、味噌の試作の話も出た。石豆が多いとのこと。サンプルを送っていただくことをお願いした。
2001.8.3 金 晴れ カウンター1729
今日は工場も休みで、朝から静かなスタートだった。
民間稲作研究会、お米の勉強会、石川県農民連から案内があった「稲作の見比べ会と、大規模有機大豆の農場見学会」に参加した。地元石川県、福井県ほか、京都府、兵庫県と予想を上回る参加者だったそうだ。「除草剤を使わない稲つくり」の山下さん、「お米の勉強会」と初めて会い、名刺交換させていただいた。
午後1時から皆さんが持参された稲株を一つ一つ並べて見比べ会が、民間稲作研究所の稲葉先生の司会で始まった。
太茎の見事な稲ばかりで、稲葉先生の一つ一つの説明も、非生産者の私が聞いているだけでも参考になって、勉強になった。
その後バスで金沢農業の井村さんの農場に移動した。このとき、手が滑ってデジカメを落としてしまい、どうしたわけかシャッターが下りなくなり撮影できなくなった。藤本さんと井村さんと一緒に三人で撮影したかったのだが、残念だった。井村さんの案内で各圃場を見学した。「さといらず」は発芽不良に加えて、雑草に負けてしまい、今年は収穫があまり、期待できそうにもなかった。
夜の懇親会では、参加者一人一人の自己紹介から始まった。新規就農者の方もおられ、いろいろと学ばせていただいた。
2001.8.4 土 晴れ
「あぐり 産直センターがシピィの西の駐車場に明日開店の運び。今日の7時から商品搬入になっていたので、郁子さんと直子さんと三人で出かけた。誰もいなかった。新ちゃんに電話してみようとおもったが、携帯を持ってなかったので、そのまま帰った。途中ファミリーマートによって、三人で衝動買いして帰った。
帰宅したら、開店準備は明日に変更の電話があったと知らされた。
2001.8.5 日 晴れ
11時に郁子さんと一緒にあぐり産直センターに納品に行った。こだわりを納品させていただいた。きんかん瓜を買って帰った。子供のころには、夏休みに決まって食べたものだが、最近はどこのスーパーに行っても売っておらず、珍しかった。早速食べてみたが、昔懐かしい味がした。
夕方、テレビを見ていたら、武生市内の京町で大きな火事があったと報道していた。取引先S店さんのほん近くのようなので、お見舞いを持って郁子さんと出かけた。鎮火した後だったが、現場はあわただしかった。商工会議所のメンバーだったTさん、Iさん宅にも、お見舞いに寄らせていただいた。
2001.8.6 月 晴れ
金沢のH社に、商談。オーガニック味噌を用いた新商材の話だった。有機JASをとってよかったと思った。帰りに井村さんの所(金沢農業)に、立ち寄らせていただき、ロープを返していただいた。
いつも忙しそうな井村さんだったが、今日はゆとりがあられたみたいで、長話になった。
2001.8.7 火 雨 カウンター1753
久しぶりのいい雨が降ったが、かえって蒸し暑い一日だった。水不足の心配もなくなり、一安心という感じ。会社の横に流れている、松ガ鼻用水は、いつもより増水していた。
青年会議所の同期だった小泉さんが、E商事の社長になったそうで、「祝う会」の案内が届いた。発信もとの三田村さんに電話した。
アミールの五島社長さんより、モンゴル行きの案内をいただいた。日程が八月二十四日からだったので、ちょうど味噌技術研究会と重なり、父親が参加することに決めさせていただいた。目的は、塩と味噌工場の見学。
2001.8.8 水 晴れ
テクノアートの佐藤さん来社。設備の更新の見積書をいただいた。私の計算してみた予想とは、200万円多かった。図面を見ながら、一つ一つ説明していただいた。かねがね考えていたとおりで、思い切ってすっきりした作業体系がとれるものになっていた。ハサップ支援法の融資を受けたいので、全味に相談した後、結論を決めたい。
小松フォークリフトさん来社。
2001.8.9 木 曇り一時雨
永田醸機の山口さんが、来社。圧力釜の見積もりしかいただかなかったが、今回はレイアウトまで変更する考えを、伝えた。結局山崎鉄工所さんと、テクノアートさんと、永田さんの三社にご相談したことになった。現時点では、テクノアートさんの提案が一番良いように思った。
2001.8.10 金 晴れ カウンター1786
今日は集金日。昨年同様猛暑なので、やはり夏場の売上は例年より少ない。
国高小学校さんから、六月に行った味噌つくりの件で、ゲストティーチャーとして武生市に報告しておくとの連絡をいただいた。大変光栄なこととおもった。
思風塾に行く前に、月田千栄子さんがデザイン事務所をオープンすると聞いていたので、事務所に訪ねてみようと思っていた。しかし、夕方になって来客があり、長引いて結局お祝いに行くことも出来ず、思風塾にも大きく遅刻してしまった。
今月の思風塾は「経営の鉄則」だった。昨年一昨年から学ばせていただいた話が大半だったが、何度聞いても新鮮に感じ、飽きない。休みなしの三時間ぶっ続けの講義だったが、本当に参加してよかったとおもった。改めて学ばせていただいた気がした。今年あと二回も必ず参加させていただきたい。
2001.8.11 土 晴れ
明日は私の祖父(七代目)の三十三回忌の法事。郁子さんは、最近準備で多忙な毎日。ハレの日には猫足のお膳を使うのが、代々我が家の慣わしとなっている。いままでこのお膳の出し入れが嫌で、逃げていたのだが、いつかは自分ひとりでしなければならないので、今年は進んで準備をしてみた。
最初はどのおわんを見ても、同じように思えて、区別がつかなかったが、一つ一つ並べて照合してみると、すぐに理解できた。
写真のとおり左上から時計回りで、つぼ、平、汁わん、飯わん、そして中央にちょく猪口の五種類。つぼには、刺身や酢の物、平には煮物、猪口には和え物を入れるらしい。今回は魚屋さんから料理を取ったので、お椀類は使わず、猫足のお膳を出して、並べただけだった。お膳箱には、輪島 膳椀 慶応三年と記されていた。猫足に“たたみすり”がついたのは、懸盤(かけばん)というらしい。
2001.8.12 日 晴れうす曇
20人の親戚の方々が、次々と見えられた。お経のあと、昼食となった。屏風、座布団、扇風機、配膳、ビールなどの飲み物の運搬役等は、私の担当で汗だくになってしまった。例年、城福寺の墓参り後の懇親会は十三日だが、今年は法事にあわせて引き続き夕方から始まった。
祐一郎君、笹田さん両ご一家も交えて、賑やかなものになった。清修おじさんが、小泉内閣、真紀子問題、財政再建案などの時事問題を論じられたため、父親、大田のお兄さん、清作おじさん、隆君、祐一郎君、笹田さんから議論が続出し、今年のお盆の話題は例年にない格調高いものとなった。清修おじさんが、バンクーバー滞在三ヶ月の模様を、英語で話された。宴は続いたようだが、酔ってしまって先に寝てしまった。
2001.8.13 月 晴れ
午前中お膳を収納した後、パソコンに向かって残っていた仕事を片付け始めた。
午後になって三好先生から電話があり、今から来社したいとのこと。福井市内に行く用があったが、明日でもよかったので、承諾した。優化水の設備を見学なされた。
四時からあいさんのお店(福井市東郷)で、勉強会があるので参加した。アトピーは、私の家族には誰もいなくて、話を聞いても実感がわかなかったが、参加された皆さんの中で、若い二十代の女性がまだ首の座ってない赤ん坊を抱いて、三好先生のご指導をお聞きなされている姿を見た。
自分の家族にアトピーがなくて幸せ、ありがたさを感じたのと、罪もない生まれたての赤ちゃんとお母さんが苦しまなければならない現実を拝見して、なんともいえない気持ちになった。
アトピーには真因と誘因があって、誘因には食物からの残留農薬や、添加物、GMO、建材なども原因らしい。自分は味噌屋なので味噌を通じてしかお役に立てないが、少しでもよいものを今後とも生産していきたいとおもっている。
青年団時代の谷端さんに久しぶりにお会いした。昔のままで少しも変わらず、ご活躍の様子だった。何でもオーストラリアで九千年前の麦の種子を手に入れられたそうで、その麦が評判がよいらしく、将来有望のご様子だった。お名刺交換させていただいた。
2001.8.14 火 晴れ
郁子さんと直子さんが、かねてより芝政に行きたいというので、ちょうど福井市内に納品があったので車で送っていった。途中から非常に渋滞し始め、会場は相当混んでいた。
帰る途中国道8号線の九頭竜川付近で、世界一周ののぼりを立てて、自転車で走っている人を見かけた。埼玉の前添さんという好青年だった。
昨年台湾を一周し、いま北海道を回って、日本海側から九州に向かう途中とのこと。
来年はアメリカ横断する計画らしい。若いということは実にすばらしいこととおもった。
隆君が、ビートに乗って、粟田部のおじさんのところに行った。
夜、父親と家族全員で墓参りし、お仏壇でお経にお経をあげた。そのあと「家宝」とかかれた箱を取り出し、創業当時の苦労話が出て、紘一郎君、紘徳君が聞き入った。箱の中には、わらじと、擦り切れたひもと、棒が入っていた。
2001.8.15 水 晴れ カウンター1817
免許証の更新に行った。ゴールドカードだったが、昨年の七月に高速で42km/hのスピ−ド違反となり、30日の免停を受けた。そのため二時間の一般講習となった。
普通免許のほかに、大型自動二輪と、大型特殊、けん引免許を持っている。新しい免許は、テレフォンカードの大きさで、ずいぶんと小さくなっていた。持ち歩きに便利な大きさだ。
免停一回なので、四点の違反で免停、十点で取り消しに合う。ジェントルな走りを心がけたい。
隆君が帰った。武生市の花火大会があった。
2001.8.16 木 晴れ カウンター1821
全味の藤波先生に電話をかけた。HACCP食品産業品質管理高度化促進資金という、大変長い設備資金の申し込みの相談を御願いした。返済機関15年、1.75%の固定金利で、便利ではないかと思う。図面等を郵送させて頂いた。
2001.8.17 金 晴れ、心地よい風が吹いた一日 カウンター1825
ナニワ精機の混合機の分解整備を行った。10年以上使っていなかったので、錆で部品が引っ付いて人力では外れず、結局フォークリフトにワイヤーをかけて引っ張ってやっとはずれた。ベアリング、パッキンの部品を注文した。
あちらこちらで早稲のハナエチゼンの稲刈りが、始まった。気温はまだ高く暑いが、吹いてくる風は心地よく、秋の気配が感じられた。
会計事務所の今村さんがみえた。借り入れ返済計算書、原価計算書を見てもらった。決算の話だったが、今期前年対比ちょうど100%の結果に終わった。前半は悪かったが、後半は伸びた。
現実を悲観的に生きるよりも、残された可能性にかけよう。
2001.8.18 土 晴れ
以前からY社が廃業、休業したという噂をあちらこちらで耳にしていた。真相はよくわからない。また良い話でもないので、ずっーと聞き流していた。R社のAさんからY社の代わりの商品を出してくれといわれていた。
しかしどうも一年待たずに、Y社が販売再開始の模様。自分なりにいろいろ考えてみたが、やはり自分のおもったとおりのみそつくりをやっていきたいので、ビジネスチャンスを逃すようだが、遠回しに断りの返事を申し上げた。
O産業に包材のストップのメールを入れた。
郁子さんから紘一郎君の進路のことで、親の意見を押し付けないように言われた。何日か前に、後を継ぐように言ったのが、本人には重荷だったようだ。子供四人いるが、誰も後を継がないことになるかもしれないという、恐怖心が湧き上がった。しかし刑務所の強制労働のように、嫌々やっても価値はないし、続きもしないだろう。
みそ業界は、マルコメさんを始めとする大手10社で、市場の約半分。大手・準大手の上位40社で市場の8割を占める寡占化が進んでいる。50年後、つまり紘一郎君が67歳で定年を迎えるころには、全国に1,200社ある我々十万貫(年間375トン)未満の家族経営の小さなみそ蔵の将来は、約半分ぐらいが廃業・転業・合併・系列のどれかになっているんじゃないかと思う。市場がシュリンク状態になっていく中で、真っ先に淘汰されるのが、小さなシェアしか持っていない限界企業だ。
後を継いでも、だんだん売れなくなって、落ちぶれて小市民的な生活もままならないような、惨めな暮らしを送るよりは、本人の好きな道をやらせて、味噌屋も私の代で、終わったほうがいいのかもしれない。
会社を継続していかなければならないという前提がなくなって、私の代で終わってもいいと逆の発想をしてみると、肩の荷がおりたようで気が楽になった。私の代で終わるのなら、ならば自分の考えどおりのみそつくりに徹していいんじゃないかと、逆に思えてきた。
私の代が終わった時点で、その後を決めよう。マルカワの持っている生産技術と生産手段が役に立ち、私以上の能力のある方が出てくれば、その方に引き継いでいただければいいわけで、何も河崎家がなくなるわけではないのだから・・。
悲観的なことを考えるわけではないが、近いうち郁子さんと話してみる。
角鉄工所に、ナニワ精機の部品の修理を依頼した。
2001.8.19 日 晴れ カウンター1840
北新庄地区のゲ−トボール大会に参加。毎年お盆の後の日曜日は私の住んでいる北新庄地域のケーとボール大会と決まっている。小さな部落なので、ハナエチゼンの稲刈りとも重なり、メンバーが足らず、借り出された。結果は一勝一敗で決勝には出られず敗退。一回戦第一ゲートをなかなかくぐれず、恥ずかしかった。
弘子さんが名古屋に帰るので、皆で食事に行くことになった。紘徳君のお勧めの「キーマ」というJR武生駅前にあるインド人のカレーやさん。私は、チキンや肉は年のせいかだめなので、野菜カレーを食べた。みんなおいしいと満足。私の食べた野菜カレーは、いまいちだった。
2001.8.20 月 晴れ
午前中集金に回った。K社から展示会のサンプル依頼。H社から催事の出展依頼。M社から、リサイクル法、アレルギー表示の問い合わせと、月曜日はやっぱり忙しい日だった。
サマージャンボ宝くじの交換に行った。3,000円が当たった。丸岡町で、1億円が出たそうだ。当たったらどうしようというのは、杞憂に終わった。
2001.8.21 火 雨 カウンター1844
大型の台風11号接近。被害の出ている大型の台風らしく警戒が呼びかけられている。父親は、24日からのモンゴル行きに備えて、事前学習に没頭。
会計事務所から決算棚卸の問合わせ。赤字になるという。いよいよマルカワも赤字転落かと、ガックリ。このご時世、赤字は避けなければと、思った。償却は任意なので、これで調節しようと思った。
H社の棚卸の応援に、山口さん一日かかった。棚拭きや掃除までさせられたとの事。
2001.8.22 水 雨 カウンター1863
北陸地方の台風11号の影響は思ったほどなさそうだ。どちらかというと期待はずれ。背が高いコシヒカリ(新潟ではなく福井県で開発された銘柄)はあちこちで倒伏していた。
しかし水不足、猛暑もこれで和らぎ、一安心といったところかな。被害に遭われた方は、のんびりしたこといっておられないけれど・・。
父親、切符、カメラ、電池、フイルム、予定表と、出発の準備に余念が無い。
会計事務所より、棚卸の問合わせ。現場帳簿を再度調べることにした。
2001.8.23 木 晴れ カウンター1873
またもやH社の棚卸応援。午前中で終わった。
棚卸表を調べたら、エクセルの合計を計算する際のセルの選択が間違っており、計算から抜けていた。約20トンの在庫が、合計されてなかった。正しいのをメールにて送った。
以前個人商店の時代に、東の蔵まるっぽ棚卸するのを忘れたことがあった。今年はえらい儲からないのだなと思い、そのまま申告して、翌年にどう考えてもおかしいので、昨年のを調べたら、棚卸が抜けているのが発覚。税務署に相談にいって修正申告したことがある。延滞税がかかったが、意図的な脱税ではないと言われ、重加算税はかからなかったことがあった。
パソコンも便利だが、油断は禁物。
2001.8.24 金 晴れ
朝六時に、JR武生駅まで父親を送っていった。八時半ごろ電話があり、北陸線のポイント故障で列車が遅れ、父親が空港についていないとの連絡。と、いわれてもどうしようもないので、どうしたものかと心配したが、何とか間に合いモンゴル行きの飛行機には乗れるとの連絡。一安心。
社会保険所に、算定基礎届を今ごろ提出した。出勤簿等はパソコンに入っているので、ノートパソコンを持参し、説明させていただいた。簡単に済んだ。
レンタルのツダに4トン車を予約する。
2001.8.25 土 晴れのち雨
工場は半日の作業で終わり。月曜日からのみそつめの段取りをした。午後は機械のペンキ塗りをぼちぼちとやろうと思ったが、今ひとつ気持ちがのらなかったので、休むことにした。
明日は廃品回収の日なので、段ボール等をまとめ、用意した。
2001.8.26 日 くもり時々雨
紘徳君、みんなと一緒に、六時半から廃品回収作業。久しぶりに見る近所の中学生の方も、大きくなっておられ、改めて自分の歳を考えた。
郁子さん、お盆の疲れと、43年の疲れが出て、私も47年の疲れが出て、朝からみんなでごろ寝に徹する。7月から暑い日が続いていたし、お盆を過ぎても暑い日が多かった。
日本優化技研さんにメールを送った。
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